『放課後倶楽部』の活動日記

放課後の語り場。部員募集中。

メンヘラ弱者男性が思う男女不公平(ジェンダーギャップ)問題

精神障害者のような弱者男性はつらい。

メディアは「社会の中で弱い立場にある女性」にケアの目を向けることが多いと思う。

女性は男性中心社会の被害者的存在として取り上げてもらえる。

ジェンダーギャップ問題は、ほとんど女性差別の問題と同義に取り上げられる)

でも弱者男性は中心に居場所なんてないし、男性だからケアの目も向けてもらえにくい。

特に中年男性なんて一番後回しくらいだと思う。

もっと言えば、ケアの目を向けられるどころか人一倍シビアな目で見られて、女性に言ったら差別に当たるような「キモい」みたいな言葉をぶつけることもスルーされているようなところすらある。

 


日本社会は男性中心社会で、男尊女卑的だと批判されるが、例えば、労働社会の中で過労死する男女比は96:4で男性の方が多い。

それでもメディアは男性が不公平で不遇な目に遭っているというような報道はしない。

(それどころか、女性の働きやすさを改善すべきみたいな意見ばかりが話される。)

そのような状況でも家事育児は公平に分担してやるべきという認識が大方である。

さらに、戦争や災害という非常時には、男性はほぼ強制的に命をとして女性、子供を守らなければならないという極端な不公平が働くのだから、平時において女性が家事育児を多目に担っていってもいいのではないだろうか。

(もちろんこれは第一に各夫婦のワークバランスで決めるべきことだとは思うが。)

また、障害をもつ男性としてこれまで見てきたのは、障害者女性と健常者男性のカップルはいても、障害者男性と健常者女性のカップルはほとんど見ないということ。

これは恐らく男性が弱い女性を守ってあげたいという保護欲求があるからだと思う。女性の場合は仕事としてケアすることはあっても、弱い男性を本能的に恋愛対象として見にくいのだろう。

 


メディアではよく「強くあるべき、男らしくあるべき」という呪縛が男性を苦しめていると言われるが、上記のような状況の中で、男は弱いと生きていけないのが現実であり、それでもやはりケアの目を向けようとはしないメディアも男性を苦しめる呪縛の一端を担っているのだと思う。

 


確かに日本社会は男性中心的な側面があり、そこで女性差別が起こることがあるが、逆に女性優遇もある。

(女性のケアの優遇は命の優遇と≒であり、それは男性中心社会の被害者だからという理由で容認されていると思う)

 


こういう主張をすると、「みんなつらいんだから、そのような弱音や僻みは甘えだ」という批判を男女双方から受けやすい。

それで、ますます中心を追いやられて、ケアの手も差し向けられないまま沈み込んでしまう。

それが男性の自殺率の高さ(女性の2倍以上)にも現れているのではないか。