『放課後倶楽部』の活動日記

放課後の語り場。部員募集中。

脱ひきこもり思考

ひきこもり経験者だけど、意に反してひきこもってるとメンタルを病んで認知の歪みを生じたり、気持ちが荒んだりしやすくなると思う。
自分の場合は優劣思考みたいなのが強くなりすぎてて、その物差しの中で自分が低いものだから、自分で自分を鞭打って虐待するようになる。
優劣思考は悪化すると優生思想に結び付きやすくなると思う。だから何も生みだしてない自分を劣等に感じて苦しくなる。
自分が変われたきっかけは、まず自分に鞭打つもう一人の自分も悪意があってやっているわけではなく、なんとかよくしようとスパルティズムな感覚でやってしまっているだけなんだと気づいて許せるようになったこと。
そして一見有能な生産者と違う自分も受け入れられるようになったのは、そういう人物だけでは非情で過酷な競争的社会になってしまい、古代ギリシャのスパルタみたいに自己崩壊を起こしてしまう、助け合いの精神がないと優生思想に罹患して崩壊してしまうと気づいたから。
自分も様々な障がいを持った人たちの施設で過ごしてきて、助けられる側の人がいない環境ではピリピリした競争環境になってしまうが、互いに助け合う環境では過ごしやすい空間になるということに気づいた。だから、社会の中でケアされる側の人間も、存在しているだけで価値がある。
RPGゲームで言ったら、戦士や攻撃魔法だけ使うパーティではもたない。回復系の白魔法も使えるキャラがいないとバランスが悪くなる。助け合いの精神は、社会環境の優生思想に結び付く優劣価値観を緩和させる。だから、ある意味、社会的にケアされる側の人もケアする側の人と同等に有力であり、価値があると気づいた。どちらかだけでもダメ。
だから、共生社会の実現は持続的で安定的な社会を作るためにも非常に大切なこと。
障がい者だろうと高齢者だろうと、自分が生産的でないからと自分を卑下する必要は全くない。彼らも生み出すものは生み出すだろうし、そうでないとしても生み出したものに支えられるということで、白魔法もある健全な社会の創造に寄与している。
だからみんな存在していればそれだけで価値がある。
自分はそういう考えをもてるようになってから、今も精神科に通院はしているが、だいぶ気持ちが楽になった。