『放課後倶楽部』の活動日記

放課後の語り場。部員募集中。

春の陽気に誘われて天然水を汲みに行った話

いよいよ春も真っ盛り。

「いい天気で過ごしやすいなぁ」

などと思っていると、もう少し汗ばんだりする時節になってきた💦

 

ということで、今日は朝から車を飛ばして、少し遠くの豊前地方にある「畑の冷泉(はたのれいせん)」神社まで水を汲みに行ってきた。

 

天然のミネラルウォーターでレモンソーダなんか作って飲んでみたかったのだ。

なんとも健康的じゃないですか😄

 

そんなこと言っておきながら、向かう途中、おいしそうな豚骨ラーメン屋ののぼりを見つけて早くも誘惑に負けそうになる😝

「まだ11時にもなってないのに早すぎるだろ。それに健康的うんぬんはどこいったんだよ、この脂肪肝!」

と自分にツッコミをいれてなんとか誘惑を断ち切る。

 

 

45分くらいで、畑の冷泉に到着。

畑の冷泉神社

 

美味しそうな水がじゃんじゃん出てる。

 

「でも、なんかもったいねえ」

などと貧乏くさい感想をもってしまう自分に嫌気が差しながらも、水を汲む。

少し飲んでみると、とても美味しい😋

 

 

ちなみに、取水料はちゃんと払いましたよ。

ちょろまかしたりはしません。

そんなことして、「水の型」とか極めてそうなこの管理人のおじさんに痛い目に合わされるのもいやですからね😅

 

 

水汲みついでに、近くを散策してみました😀

横には、きれいな川が流れています。

 

溜まりに住んでる鯉たちは日本一の幸せ者かもしれない。

 

でもその近くの茶屋に住んでる水槽の魚達は、ちょっとかわいそう。

「近くに綺麗な水がこんだけ流れるんだから変えてあげてよ店員さん」😭

 

 

そんな店の前では、もうかき氷の旗が出ていた。

「ちょっと早過ぎだろ!でも名前が冷泉茶屋だし、それもありか!」

なんて思ったりもした。

 

 

帰りにせっかくなんで水みくじなるものを買ってみることにした。

 

結果は「凶?うそーん」😢

 

まあ、「そんなこともあるものさ」

と気軽に、水に流して、ウチに帰りました😅

 

「ひきこもってカッテージチーズ作りなんかしてみたけど」の話。

B型作業所の人間関係に疲れて行くのが嫌になった。
精神科デイケアの人間に疲れて行くのが嫌になった。
いい歳をして思春期の青少年みたいに、人の目を気にして傷つく自分が嫌になる。
「もっと成熟した大人な人間になれたら」と思う。
でも、うまくもいかず、最近またひきこもったように暮らしている。

することもないので、YouTubeでみた牛乳から作れるカッテージチーズが美味しそうだったので、大量に作って食べてやろうと思いついた。
いざ料理を始めて、動画にある通り牛乳に酢を入れて熱にかけても全然分離しない。
「どうやら失敗したらしい」と苛立ちながら、もうやけくそに酢やレモン汁を加えてかき混ぜた。
飲むとヤクルトのようなカルピスのような、なんとも言えない甘ったるい不思議な味がした。
アルコール分は入ってないはずだが、僕は、ノンアルコールの子ども用ワインをはじめて口にして酔っ払ってしまった子どもの時みたいに、なんだかいい気分になってしまった。
「これじゃあ当分、大人にもなれそうにないな…」
僕は、おつまみのクッキーをかじりながら、ほんのりとため息をついた。

 

自己愛の問題について 「神さまちゃん療法」の構築と実験

『夢判断』を書いたフロイト森田療法を編み出した森田先生は、自分自身が神経症に苦しみ、なんとかよくするために治療法を考え出したという。

自分も自身の自己愛の問題を克服すべく、自分なりに考察して治療法を考えてみたいと思う。

辞書で調べると「自己愛とは、自分自身を愛すること」とある。

・自己愛は、赤子の頃に、父母(特に母親的存在)に無償の愛を注がれることによって育まれるのではないか。

・赤子は無力で自分では何もできない。そんな状態でも、ただこの世に存在するだけで受け入れられているという感覚が、「無条件の存在そのもへの自信」につながるのではないか。それがないと、自己不全感に悩まされ続けることになるのではないか。

・大人になるともう赤子の自分は存在しない。無償の愛を注いでくれる存在もいない。だから、自己愛を獲得することが難しくなる。それが自己愛に問題を抱えた精神病者の治療が困難な理由ではないだろうか。

・逆にいえば、大人になってからも、自己愛を育む方法が見つかれば、治療は進んでいくのではないか。

認知行動療法に関係するマインドフルネス瞑想は、「ただ呼吸しているだけの自分」を受け入れることによって、存在そのものへの自信を育む。
自分自身が呼吸しているだけの赤子のようになって、同時に、それを受け入れるという父母のような存在にもなる。
それによって自己愛の問題を解消しようとしているのではないか。

・なぜマインドフルネス瞑想は、合わない人がいるのか。満足に効果を得られない人がいるのか。

・基本的に優勝劣敗の世界で、精神に問題を抱え危機に瀕している者に対して、ただ存在しているだけでよいという感覚を抱かせようとしても、無理があるのではないか。現実的にはもう大人で、強くなければ生き抜けない世界で、ただ存在しているだけでよしとするのは、まやかしになってしまうのではないか。

・人も植物もみな、究極、神様を目指すようにつくられている、遺伝子にそうプログラミングされていると思う。
ゆえに切磋琢磨の競争は終わることがない。

・了解もなく、そのような過酷な世界に生み落とされるという理不尽の償いとして、親は自ら神を目指すのとは反対に、赤子の奴隷となるように思える。

・親は、無条件に神にひれ伏ししもべとなって尽くすように、赤子に無償の愛を捧げる。

・泣き喚いて迷惑をかける赤子も、乳首に噛み付く赤子も、察したり許したりして、特別に尽くす。

・その行為を受けることによって、赤子は、自らを神のごとく特別な存在と錯覚し、出生を受け入れて許す。

・父母(男、女)は、赤子にとって絶対的な存在である。その絶対的で神のような父母に特別尽くされることで、勘違いの自信を獲得する。
神になったような錯覚の残像が、理屈抜きの自信(存在そのものへの自信)の正体ではないか。
神を奴隷にして神童貞を卒業できなかった者は、不満や不全感を抱き続けるのではないか。

・自己愛に問題を抱えるとナルシシズムに陥る。
ナルシシズムは、赤子の頃に成れなかった神を装い、魅力的な存在になることで、ファンを獲得し自らに尽くさせることで、満たされなかった欲求を解消させようとしているのではないか。

・赤子は便を漏らしても怒られないどころか、排泄できたのは健康の証拠であるとしてむしろ褒められる。
神は、世界をつくったと思われているが、戦争や差別などを放置させてもお咎めなしで崇められている。

・自分で自分をそのように特別な存在として大切に扱ってあげる。

・自己愛に問題を抱えている人間を特別扱いしたら、悪化するのではないかと思われているかもしれないが、いっとき、自分で自分を特別に、赤子のように神のように、扱ってあげて、神童貞を卒業させてあげてはどうか。
父母という相手はいないが、自分だけは自分を特別に一番可愛がって尊重してあげるということで、自慰行為にはなるかもしれない。

・マインドフルネス瞑想は、ただ呼吸するだけ、ただ歩くだけでよしとするが、このいわば「神さまちゃん療法」は、赤子のようにやりたいことをやって、どのような結果や感情が起ころうと、自分が自分の父母になったような気持ちで、声をかけてあげる。
漏らしても排泄できたこと自体を喜ぶように、ぶつかってもハイハイをやろうとしたこと自体を褒めるように。
原始的な部分を「すごい、えらい、よかった」とむしろ喜んで褒めてあげる。
よくないことをした時は、あくまでその子のためを思って言い聞かせるてあげる。

・鏡にうつった自分を、神様のように手を合わせて拝むのはあんまりだから、赤子をさするように、両手で頬を優しくさすってあげる。

・ネガティヴな気分になった時は、赤子を擁護してあげるように言葉をかけて、手のひらでポンポンと体を叩いてあげる。

この自分なりの考察と治療法をしばし試してみたいと思う。

待ち受けているのは、健全な自己愛の獲得か、肥大した自尊心による自我の崩壊か。

 

桜と鴉とメンヘラ男

3月31日の日曜日の朝

春の陽射しを浴びて目を覚ます。

昨夜は精神科の頓服薬を飲んで床についたが、今朝も妙にイライラして寝覚めがよくない。

テレビでは桜が開花したと女性のアナウンサーが満面の笑顔をこぼしている。

「気分転換に桜でも見に行ってみようか。」

家にじっとしていてもふさぎ込んでしまいそうだったので、思い切って出かけてみることにした。

公園に着くと、小高い山一面に咲いた桜が本当にきれいだった。

ただ、公園の池の周りを歩きながら思った。

「みんな家族や仲間たちとワイワイ騒いでいて楽しそうだなぁ。それに比べて俺はこの歳になってもあい変わらずひとり彼女もいないままで…」

僕は今年になって、もう3度も恋に破れていたので、それを思い出してなんだかつらい気持ちになった。

「もう帰ろうかな。こんなことなら家で映画でも観ていた方がよかったかもな。」

20分もしないうちに、うつうつとしてきて、そんなネガティブな考えが頭をよぎった。

その時頭の上で

「カァーカァーカァー」と鴉たちが大きな声で鳴いて飛び交っているのに気づいた。

「そうか、花見客たちの食べ残しを狙って集まってきているんだな。」

僕は鴉たちの様子をしばし観察することにした。

けたたましい声を上げながら、枝木の間に隠れて人間の様子を伺っているのやら、電灯の上から食べ物を物色するように見回しているのやら、咲き誇る桜花には目もくれず、鴉たちはみな必死の様相を呈している。

「これこそまさに、花より団子だな。」

眺めつつそんなことを思っていると、ふいに頭の中でブルーハーツリンダリンダのメロディが流れはじめた。

「ドブネズミみたいに美しくなりたい♪」

「俺は春の陽気の中、また他人と比較してうじうじと嫉妬ばかりしていた。それとひきかえ、鴉たちのなんと逞しいことだろうか。」

僕は家に帰るのを一旦取りやめ、とぼとぼと歩いて行って近くのベンチに腰を下ろした。

「寂しい人間と思われたっていいじゃないか。」

シートを敷いて手作りのお弁当を楽しそうに囲んでいる人たちの傍で、持ってきていたコンビニの菓子パンをとり出し、一口二口と齧った。

「うん。うまいうまい。」

桜を見ながらしみじみと味わった。

やっぱり楽しそうな歓声が気にはなったが、自分なりにささやかな花見を楽しむことはできた。

古来より日本人は、桜には鶯がいいものだとそのとりあわせを愉しんできたが、今日の僕には鶯より鴉の方が心よかった。

ありがとう、鴉たち。

小山一面に咲く桜

物色する鴉

 

メンヘラ弱者男性が思う男女不公平(ジェンダーギャップ)問題

精神障害者のような弱者男性はつらい。

メディアは「社会の中で弱い立場にある女性」にケアの目を向けることが多いと思う。

女性は男性中心社会の被害者的存在として取り上げてもらえる。

ジェンダーギャップ問題は、ほとんど女性差別の問題と同義に取り上げられる)

でも弱者男性は中心に居場所なんてないし、男性だからケアの目も向けてもらえにくい。

特に中年男性なんて一番後回しくらいだと思う。

もっと言えば、ケアの目を向けられるどころか人一倍シビアな目で見られて、女性に言ったら差別に当たるような「キモい」みたいな言葉をぶつけることもスルーされているようなところすらある。

 


日本社会は男性中心社会で、男尊女卑的だと批判されるが、例えば、労働社会の中で過労死する男女比は96:4で男性の方が多い。

それでもメディアは男性が不公平で不遇な目に遭っているというような報道はしない。

(それどころか、女性の働きやすさを改善すべきみたいな意見ばかりが話される。)

そのような状況でも家事育児は公平に分担してやるべきという認識が大方である。

さらに、戦争や災害という非常時には、男性はほぼ強制的に命をとして女性、子供を守らなければならないという極端な不公平が働くのだから、平時において女性が家事育児を多目に担っていってもいいのではないだろうか。

(もちろんこれは第一に各夫婦のワークバランスで決めるべきことだとは思うが。)

また、障害をもつ男性としてこれまで見てきたのは、障害者女性と健常者男性のカップルはいても、障害者男性と健常者女性のカップルはほとんど見ないということ。

これは恐らく男性が弱い女性を守ってあげたいという保護欲求があるからだと思う。女性の場合は仕事としてケアすることはあっても、弱い男性を本能的に恋愛対象として見にくいのだろう。

 


メディアではよく「強くあるべき、男らしくあるべき」という呪縛が男性を苦しめていると言われるが、上記のような状況の中で、男は弱いと生きていけないのが現実であり、それでもやはりケアの目を向けようとはしないメディアも男性を苦しめる呪縛の一端を担っているのだと思う。

 


確かに日本社会は男性中心的な側面があり、そこで女性差別が起こることがあるが、逆に女性優遇もある。

(女性のケアの優遇は命の優遇と≒であり、それは男性中心社会の被害者だからという理由で容認されていると思う)

 


こういう主張をすると、「みんなつらいんだから、そのような弱音や僻みは甘えだ」という批判を男女双方から受けやすい。

それで、ますます中心を追いやられて、ケアの手も差し向けられないまま沈み込んでしまう。

それが男性の自殺率の高さ(女性の2倍以上)にも現れているのではないか。

 

 

対人恐怖症人間が呪文を唱えて耐え忍ぶ今日この頃【デイケア日記】

今日は精神科デイケアに行った。

また雑談の輪の中に入れず、一人で文章など書いてやり過していた。

いや、本当は書くフリをしていた。

会話をシャットアウトしようとしても、どうしても耳に入ってきて、書くことに集中できない。
内心、文章を書くことより、自分もあんな風に気軽に輪の中に入って仲良く雑談を楽しめたらと嫉妬心が渦巻いているので、文章など手につかない。

スタッフには「自分は別に雑談なんてしに来ているわけじゃないから」「なぜお金を払ってわざわざ雑談しに来なければいけないのか」などと強がりを言っていたが、本当はただ加わりたいどころか、どっかり中心に腰を据えてワイワイと雑談がしたいんだ。
自分に嘘はつけない。だからストレスになる。

いい歳をして話しかけて雑談に加わる勇気もなく、心の内で指を加えて嫉妬している自分がほとほと嫌になる。

思えば小学生低学年の頃からすでにそうだった。

みんなが運動場に出てサッカーなどをしているのに加われず、教室の席に座って一人おはじきセットで遊ぶフリをしていた。
新学期が始まって、いつものように段取り的に荷物入れにおはじきセットを取りに行くと、家に持って帰ったままだったことに気づいて愕然とし、吐きそうになったことがあった。
クラスメイトにボッチだと後ろ指を指されるのが怖かったのだ。

自分は大人になった今でも、根本的にその頃から変わっていない。
人にどう思われるかばかりを気にして、本当の自分を出して心のコアが傷つくのを恐れている。
だから、自然体で打ち解けるということがない。
身の丈以上の「すごい自分」を身に纏って人と接して、劣った立場に立たないよう常に警戒してきた。

そんな風にやってきたものだから、能力的にもメンタル的にも限界が来た時にひきこもった。
逃げることで何とか自尊心を保つために。
一旦は精神障害者という形をとることで何とか社会に戻ることはできた。
それでもやがて歳をとり、無理もきかなくなってきた。
まだ、人前に弱い自分を曝け出しても大丈夫なメンタリティも養われていなかったので、恐怖と自己嫌悪と抑うつから病気がぶり返した。

「人はみんな自分自身の人生に関心があるのであって、他人のために生きているわけじゃない。だからいちいち他人のことなど本当には気にしていない」
《赤ん坊のために命を捨てる母親も、飢えた虎のために身を捨てた釈迦も、本当は自分のためにやったことじゃなかろうか。
それが人間の性であり限界じゃなかろうか。
ならばそんな人間の言動に傷つき、嫌われたと思ったって、自分を否定されたように感じることはないじゃないか。
犬に吠えられて落ち込んでも仕方ないように。猫にそっぽを向かれて傷ついても仕方ないのと同じように。
所詮人間も自分の為に生きているということにおいて犬や猫と全く変わらないのだから。》

呪文の様に何度もそう言い聞かせても、まだ人にどう思われるか気にしてしまう。
自分に自信がないためか他人軸(他者評価)で自己を捉えてしまう。おまけに人間不信だから、ネガティヴな意識を持たれているだろうという思いが強くて、ますます対人恐怖が強くなる。
そしてそれが抑うつにつながるという負のループ。

自分はもう若くもないし、改善の見込みはあるのだろうか。
この先、生きていて希望はあるのだろうか。

今日もまた精神科デイケアに行ってそんなことを考えた。

おはじきセット

捨身飼虎は天国に行きたかっただけなんじゃないか

【エッセイ】映画と父とチャップリン

私の父は映画がとても好きな人だった。
子どもの頃、よく兄と一緒に隣町の映画館へと連れて行ってもらったのはいい思い出である。

子どもの頃私は身体が弱かった。そのため、幼稚園ではやんちゃ坊主たちによくいじめられて、小学校にあがっても四年生になるまでは、仲のいい友達はできなかった。

どこか、古いモノクロフィルムの様な寂しさを抱えた子ども時代だった。

それでも、父と兄と三人で、並んで映画を観ている間は色づいた様に楽しい時間だった。

私が人や物事に対してオドオドとしやすい子どもだったのに対して、父は悠揚ゆうようでマイペースな人だった。

その人柄は映画館で映画を観ている時にもよく見られた。

まず、父は上映中によく寝た。
「面白い映画がやっとるから観に行くぞ」
とけしかけるように僕らに声をかけて観に行っても、早い時には、東映の波しぶきが舞う頃には、もう海中にいざなわれるように深く眠っていることがあった。
ゴジラ咆哮ほうこうをあげて、街を焼きつくすシーンでも、負けないくらいのいびきを立てて寝ていることもあった。

それから、空気を読むことなく、「ここで食べるか」というタイミングでポップコーンなどをむしゃむしゃと頰ばった。
ハリウッドのアクション映画なら、ヒーローが撃ち殺されたんじゃないかという緊迫の場面、血濡れた顔で最後の決め台詞をいう時、ついにヒロインと再会して抱き合うラストシーン。
映画と呼応する無声映画活弁士のごとく、ある意味絶妙の間で、「むしゃりむしゃり」とやる。
だから、どんな緊張したシーンでも、間の抜けたものになってしまうのだった。

私は、そんな父を「周りにどう思われているだろう」とハラハラとした恥ずかしさを感じながらも、兄と顔を見合わせ、声を潜めて笑い合った。

小学四年生の夏休み。居間でゴロゴロしていたある日のこと、父が得意げに「すごい面白い映画を借りてきたけんの」と図書館のビデオを持ってきたことがあった。
それは、チャップリンの『モダンタイムス』だった。
私は大声をあげて笑った。
それからというもの、私は父と同じくすっかりチャップリンの大ファンとなった。
おかげで、その頃から性格も朗らかになってきて、一緒に遊ぶ友達もできた。

WOWOWの「映画にまつわる思い出」をテーマにした投稿企画を見て、そんな映画と父との思い出を『ニューシネマパラダイス』のサルヴァトーレのように布団の上でつらつらと回想した。

小腹がすいたので、居間へおりていくと、母が映画を観ていた。
戦時中の日本を描いた映画のようだ。
吉永小百合さんが、夫からのものであろうか、手紙を手に涙を流しているシーンで母も感動して泣いていた。
その時である。
「芋がよう湯掻ゆがけちょるよ、あんたも食べり」
ほくほくと湯気立つ山盛りの芋を皿にのせて、父が台所からやってきた。
「もう静かにしてよ!今大事なところなんやけ!」
母が思わず声をあらげて怒る。

そのやり取りを見て、私は思わず声をあげて笑ってしまった。
しかし、父はもうずいぶんと歳をとった。
相変わらずの「タイミングのよさ」はあの頃から変わっていないためなのか、最近気になり始めた認知症のためなのかはわからない。
どちらにせよ、私にとって父は、思い出というシーンが映し出される銀幕のチャップリンであり続けると思う。