『放課後倶楽部』の活動日記

放課後の語り場。部員募集中。

【エッセイ】映画と父とチャップリン

私の父は映画がとても好きな人だった。
子どもの頃、よく兄と一緒に隣町の映画館へと連れて行ってもらったのはいい思い出である。

子どもの頃私は身体が弱かった。そのため、幼稚園ではやんちゃ坊主たちによくいじめられて、小学校にあがっても四年生になるまでは、仲のいい友達はできなかった。

どこか、古いモノクロフィルムの様な寂しさを抱えた子ども時代だった。

それでも、父と兄と三人で、並んで映画を観ている間は色づいた様に楽しい時間だった。

私が人や物事に対してオドオドとしやすい子どもだったのに対して、父は悠揚ゆうようでマイペースな人だった。

その人柄は映画館で映画を観ている時にもよく見られた。

まず、父は上映中によく寝た。
「面白い映画がやっとるから観に行くぞ」
とけしかけるように僕らに声をかけて観に行っても、早い時には、東映の波しぶきが舞う頃には、もう海中にいざなわれるように深く眠っていることがあった。
ゴジラ咆哮ほうこうをあげて、街を焼きつくすシーンでも、負けないくらいのいびきを立てて寝ていることもあった。

それから、空気を読むことなく、「ここで食べるか」というタイミングでポップコーンなどをむしゃむしゃと頰ばった。
ハリウッドのアクション映画なら、ヒーローが撃ち殺されたんじゃないかという緊迫の場面、血濡れた顔で最後の決め台詞をいう時、ついにヒロインと再会して抱き合うラストシーン。
映画と呼応する無声映画活弁士のごとく、ある意味絶妙の間で、「むしゃりむしゃり」とやる。
だから、どんな緊張したシーンでも、間の抜けたものになってしまうのだった。

私は、そんな父を「周りにどう思われているだろう」とハラハラとした恥ずかしさを感じながらも、兄と顔を見合わせ、声を潜めて笑い合った。

小学四年生の夏休み。居間でゴロゴロしていたある日のこと、父が得意げに「すごい面白い映画を借りてきたけんの」と図書館のビデオを持ってきたことがあった。
それは、チャップリンの『モダンタイムス』だった。
私は大声をあげて笑った。
それからというもの、私は父と同じくすっかりチャップリンの大ファンとなった。
おかげで、その頃から性格も朗らかになってきて、一緒に遊ぶ友達もできた。

WOWOWの「映画にまつわる思い出」をテーマにした投稿企画を見て、そんな映画と父との思い出を『ニューシネマパラダイス』のサルヴァトーレのように布団の上でつらつらと回想した。

小腹がすいたので、居間へおりていくと、母が映画を観ていた。
戦時中の日本を描いた映画のようだ。
吉永小百合さんが、夫からのものであろうか、手紙を手に涙を流しているシーンで母も感動して泣いていた。
その時である。
「芋がよう湯掻ゆがけちょるよ、あんたも食べり」
ほくほくと湯気立つ山盛りの芋を皿にのせて、父が台所からやってきた。
「もう静かにしてよ!今大事なところなんやけ!」
母が思わず声をあらげて怒る。

そのやり取りを見て、私は思わず声をあげて笑ってしまった。
しかし、父はもうずいぶんと歳をとった。
相変わらずの「タイミングのよさ」はあの頃から変わっていないためなのか、最近気になり始めた認知症のためなのかはわからない。
どちらにせよ、私にとって父は、思い出というシーンが映し出される銀幕のチャップリンであり続けると思う。